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ユメコちゃんというキャラクターも、だから必要があって生み出されたものなんですね。これも、「水木さんのへんてこりんな世界にイイところのお嬢ちゃんみたいなキャラは必要ないだろう」という見方をされることが多いようなんですが……まあそれはそれで一つの見方なのかもしれませんけど、第三期に関して言うならば、天童ユメコというキャラクターは必要不可欠なものだったろうと思います。妖怪たちがみな越境者として登場する以上、媒介者は必要だったろうと。
まず妖怪を受け入れてもらわなければならなかった第一期や、ドラマ性を深めようとした第二期の場合は、鬼太郎たちのいる茫洋とした摩訶不思議な世界に「視聴者を招き入れる」というスタイルになってたわけです。一般人が変な世界にまぎれこみ、不思議な体験をして、ふらっと出て来ちゃうという構造ですね。それに対して、第三期は逆なんですね。今度は妖怪という変な奴らが、僕らの世界に「やって来る」んです。どっか別の世界の話でも、昔のことでもない、僕らがいま住んでるこの街にキャラクターとしての妖怪が現れるんだ、という構造。まさに「夜中迎えに来るんだゾ」なんですね。だから、媒介者としての人間キャラはレギュラーとして絶対必要だった。彼女がいてくれたおかげで多くの視聴者が次々やってくるへんてこりんなキャラクターたちを受け入れることができたはずなんです。天童ユメコというキャラクターは、水木さんの世界をあの時代に合った形でプレゼンテーションするうえで、不可欠なものだったんだと、僕は思っています。
ユメコちゃん初登場はレギュラーの顔見せがすんだ後の第二話「鏡じじい」なんですが、原作の「鏡爺」はどこともしれぬ山奥の廃屋でのワンシチュエーションドラマ。それをきちんと都会、現実世界にリンクさせるために、本来使い捨ての被害者キャラでしかなかった名無しの美少女に名前と家族が与えられたわけですが、それがそのままメインキャラとして迎えられるという展開で。現実主義者のお父さん、いたずら好きな弟、そして鬼太郎を召喚するのはお母さん……いや、この後起こるだろう様々な事件に対応できるよう、周到にシフトが組まれてたわけです。
イイ子すぎるし、妖怪の雰囲気に合わない、だから要らないかも……とか、そういうことは後になってから言えることであって、ユメちゃんが出ている作品には、何というか安心感みたいなものが確実にあったわけです。あの80年代のバブルの頃にリアルタイムで観た子供たちは、ユメコ抜きの鬼太郎はピンとこなかったと思う。安定路線としてずっと続けたいというスタッフの意気込みを感じるわけですよ。
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| 注:ユメコ初登場の第2話『鏡じじい』から。 |
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